今週のお題「2020年上半期」

 

もうすぐ7月が終わる。

本来であれば今頃は東京オリンピックで盛り上がっていたはずの2020年7月。すっかりそんなものはなくなってしまった。

 

思えば2020年上半期は今まで経験のしたことがない半年間だった。

新型コロナウイルスがここまで猛威を振るい、我々の生活を一変させてしまうとは誰が予想しただろう。

旅行にも行けない。飲み会にも行けない。ましてや仕事にすら行くことができないという日々が続いた。こんなこと考えられなかった。

 

私も在宅勤務を強いられ、現在も継続して在宅勤務をしているが、仕事に対する価値観、ひいては人生観まで少し変化しているような気がする。

 

言葉に表すのは難しいが、今までは一心不乱に努力を重ね、良い会社、良い仕事をひたすら追い続けるような日々だったように思う。しかし、このコロナ禍において、本当に仕事が一番大事なのか、出世やジョブホップが重要なのか、ということを強く感じた。

 

プレッシャーに押しつぶされそうになりながら長時間働いて高給取りになるより、余暇が十分あってほどほどのお金があれば十分ではないか。場所と時間に縛られず働けた方がいいのではないか。そんなことを考えるようになった。

 

コロナによって自由が制限されたことで、より真剣に自由ということに向き合えるようになったのだろう。

 

このまま収束に向かうとも考えられず、下半期も同様に自粛日々が続くことが考えられる。

まだまだ自問自答する毎日が続きそうだ。。。

 

 

 

 

本の評価について

昨年から一念発起して、本を多読するようになった。また、本を読んだ後はレビューをして、本の評価を付けるようにしている。で、その結果の傾向を分析したら法則と示唆が得られたのでそれを書き留めておきたいと思う。

 

評価を高くつける本は、マトリクスで表すと下記のようになることが分かった。

①理解できる上、共感できる本…〇

②理解できないが、共感できる本…△

③理解できるが、共感できない本…△

④理解できない上、共感できない本…×

理解できる
理解できない ×
  共感できない 共感できる

 

おのずと×<△<〇という順に本からの吸収も多いが、自己の思考の先鋭化を避けるためには、特に③④の共感できない、という本ををあえて意識して取り入れる必要がある。

③④の本は、内容に共感ができないため評価を下げ、そこからの吸収も少なくしている本である。

本来であれば、常に反対意見にも一理あるのではないか、という謙虚な姿勢を持ち、絶えず思考をアップデートすることが求められるが、昨今そのような機会はどんどん減ってきているに感じる。

twitter等のSNSが特に顕著な例だが、個人が取得する情報をカスタマイズできる高度な情報社会では、対立意見を安易に排除し、自らの意見に反論をぶつけて考え直したり、摺合せを行ったりしないことによって、思考は安直になり、先鋭化されてしまうことが考えられる。

 

この情報社会が不可逆的に戻ることはあり得ないため、意識しないと自らの考えはどんどん先鋭化されてしまうことが予想される。だからこそ、多読をし、共感できないような本をあえて受け入れ、共感するよう努力することで、先鋭化されていない、深い思考を持つことができるのではないかと考えた。

 

今後は、このような観点も頭に入れた上で、本を読み進めたいと思った。

 

 

 

 

 

「空気」の研究 山本七平 ☆☆☆☆☆☆

日本の道徳=差別の道徳。
⇒日本の道徳は、現に自分が行っていることの規範を言葉にすることを禁じており、それを口にすれば、たとえそれが事実でも、「口にしたということが不道徳行為」とみなされる。したがってそれを絶対に口にしてはいけない。というのが日本の道徳。
 
第二次世界大戦、明らかに負けるとわかっていても、そんなことを言える「空気」ではなかった。
「~せざるを得なかった。」という言葉。→強制⇒空気に強制されたのなら、空気の責任はだれも追及できない。
 
議論における言葉の交換それ自体が一種の「空気」を醸成していき、最終的にはその「空気」が決断の基準になることが多い。
 
物質から何等かの心理的・宗教的影響を受ける。言い換えれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態。
 
一体なぜ我々は物質・物体に何らかの臨在感を感じ、それに支配されるのか。それを究明して「空気の支配」を断ち切ることの方がむしろ科学的。
 
臨在感的把握
…物質から何らかの心理的・宗教的影響を受ける。言い換えれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態。
 
 
イスラムユダヤ、キリスト強的考え方。
「物質はあくまで物質であって、その物質の背後に何かが臨在すると感じてこれから影響を受けたり、それに応対したり、拝礼したりすることは、被造物に支配されてこれに従属することであるから、創造主を冒とくする罪だ」というっ考え方が基本になっている。
⇒臨在感的把握の絶対化に基づく「空気の支配」は「悪」なのである。
 
偶像破壊・影像破棄は、今でもイスラム圏では行われている。
一神教(モノティズム)の世界。「絶対」といえる対象は一神だけだから、他のすべては徹底的に相対化され、全ては、対立概念で把握しなければ罪。
⇒この世界では、空気は発生しえない。発生してもその空気が相対化されてしまう。そしてその相対化のこの根底が残すものは、最終的には契約だけということになる。
 
一方、日本の世界は、一言でいえばアニミズムの世界。
アニマ≒空気
アニミズムとは「空気」主義
日本社会は、常に何らかの命題を絶対化し、その命題を臨在感的に把握し、その「空気」で支配されてきた。
⇒「正しいものは報われる」といったものは絶対であり、この絶対性にだれも疑いを持たず、そうならない社会は悪いと、戦前も戦後も信じ続けていた。そのため、これらの命題まで対立的命題として把握して相対化している世界というものが理解できない。
 
天皇制=偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情輸入によって生ずる空気的支配体制。
 
☆☆正直者がバカを見ない世界であってほしい。その考えが絶対ならバカを見た人は不正直な人間なのか。という考え。
ヨブ記」 ヨブという正しい人物が、天災と人災ですべてを失った。その時、三人の友が見舞いに来る。あまりの悲惨さにだれも口がきけず、慰めの言葉も出せず、「七日七より、彼とともに地に座していて、一言も彼に話しかけるものがなかった。」
その中の一人がついに口を開き、「正しい者は必ず報われるのだから、こうなったからには、お前には隠している罪感があるに違いない。この状態から逃れるには、まず素直にそれを認めることが先決だ」という言葉。
=一つの命題(正しいものは報われる)絶対化された場合の恐ろしさ。
⇒一つの命題、たとえば「公害」という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、公害問題が解決できなくなる。
 
もちろん西洋の社会でも、音楽や祭事については、一種のムードに支配されるということは今でもある。
しかし、彼らが空気の支配を徹底的に排除したのは、多数決による決定だったことである。
 
☆多数決原理の基本は、人間それ自体を対立概念で把握し、各人のうちなる対立という「質」を、「数」という量にして表現するという決定方法に過ぎない
日本には「多数が正しいとはいえない」などという言葉があるが、この言葉自体が、多数決原理への無知からきたものであろう。正否の明言できること、たとえば論証とか証明とかは、元来、多数決原理の対象ではなく、多数決は相対化された命題の決定にだけ使える方法だからである。
 
日本における多数決は「議場・飲み屋・二十方式」とでもいうべき「二空気支配方法」をとり、議場の多数決と飲み屋の多数決を合計したら最も正しい多数決ができるのでは?
 
「水を差す」と「空気」が崩壊する。
⇒「水」は最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味する。
 
状況論理と空気の違い
状況論理…あの状況ではこうだが、この状況ではああだ。といった、状況を論理的に判断し行動する。
空気…その場の「空気」を基に判断する。
 
西洋は、絶対的な観測の基準(はかり)をもって物事を判断する。⇒非人間的なもの
 
日本人は、人間的なものに基準を求める。⇒人間に同一性を求める。
 
百メートル走をする。人間が動かせない地球基準の長さ100mを正確に計り、同様に人間が動かせない「時間」を極力正確に計ってその結果を平等に記し、この平等によって「個」を公正に表すことが平等であっても、一等二等三等は「差別」になるから、全員同時に到着するよう、それぞれに操作を加えることは平等にならず、逆に不公平になる。
 
日本人…人間はみな平等という臨在感的基準
欧米人…メートル等、観測者がだれであっても明白な基準。
 
☆☆☆孔子は諸侯に考えを説いて行ったが、「君君たらずんば、臣臣たらず」といった関係だった。
→両者の関係は信義誠実を基にすべきことであるといった契約的な意味の誠実さで、これがおそらく「忠」という概念
彼にとっては、この「忠」という概念と、血縁という「孝」とは、あくまで別概念だった。別概念だからこそ、別々の言葉で表現され、この二つを同一視すれば、とんでもない社会を招来してしまう。
→父子ではない会社や組合といった組織にまで父子の倫理を拡大してこれを儒教と呼べば、彼自身が激怒して反論したかも
@☆☆→日本的儒教思想のゆがみ
→30年前の日本は「忠孝一致」で「孝」を組織へと拡大かした状態を「忠」と呼び、「君、君たらずとも臣は臣たれ」を当然とした社会だった。
 
戦後の帝国主義からの脱却。
臨在感的把握の対象を一変させ、それへの回心によって、自己が回心したと思い込んだに過ぎない。
→「民主主義とは、統治の一形態であって、それ自体の中に克服すべき様々な欠陥を含む」ものとして相対化することは到底日本では認められず、「民主」といえばこれは絶対で、しかも日本のそれは世界最高の別格であらねばならなくなる。憲法も同じであり、あらゆる法は常に欠陥をもつから、その運営において絶えず改正を必要とする存在であってはならず、完全無欠であらねばならない。
 
われわれは「水(=現実)を差す自由」を確保しておかないと大変なことになる。
しかし、現実とはわれわれが生きている「通常性」であり、この通常性がまた「空気」醸成の基である。日本の通常性とは、個人の自由という概念を許さない「父と子の隠し合い」の世界。
 
 
☆☆☆☆☆☆
非常に内容も濃く、面白い本だったが幾分言葉が難しい。
また内容も難解である。
日本人の社会にはびこる「空気」の実態を明らかにしようとした本。

シャーデンフロイデ 中野信子 ☆☆☆☆☆☆

 
 
私たちが「人間性」と呼んでいるものの正体は、一体何なのか。
人間性を無条件にいいものと考えているが、実際はどうなのか。
 
…誰かが失敗したときに、思わず沸き起こってしまう喜びの感情。
シャーデンフロイデは「オキシトシン」という物質と深いかかわりがある。
…愛譲歩ホルモン、幸せホルモンと俗に言われ、基本手kには人間に良い影響を与える。
そのオキシトシンが妬みの感情も強めてしまう働きを持つ。
 
オキシトシンは女性ホルモン(エストロゲン)によって増幅される。
オキシトシンの分泌の効果
…血圧を下げる。
心拍が遅くなる。
皮膚、粘膜の血液量が増える。
筋肉の血液量は減少する
コルチゾール(ストレスホルモン)濃度を下げる。
消化吸収がよくなっる。
 
オキシトシンを分泌できないマウス⇒ストレスに極めて弱い。新しい環境に適応することが苦手。
 
オキシトシンは「愛と絆のホルモン」という言葉で表現できる。
オキシトシンを注射したマウスは好奇心旺盛⇒不安を軽減する効果
 
オキシトシンは「愛着を形成する」
⇒人と人とのつながりが切れてしまいそうになるとき、オキシトシンがそれを阻止しようとする行動を促進する。
 
オキシトシンは出産時に一番高まる
 
オキシトシンの働きを阻害する物質を実験動物に注射すると、その個体は子育てに無関心になる。
 
子供は人の事を気遣わない
大人になるにつれて高社会性が高まってくる
⇒高社会性が高まると、合理的な判断は次第にしにくくなってくる。
 ⇒オキシトシンが高社会性を高める。
 
もう一つの絆ホルモンの受容体「アルギニン・パソプレシン・レセプター(AVPR)」
⇒AVPRのとある型をもっていると、男女ともに長期的な人間関係を結ぶのが難しく、パートナーに対し不満度を高める。
 →この型を持つ人は未婚率・離婚率が高くなる
 
なぜ離婚は叩かれる?
動物は「種を残す」ことを目的にする。
一夫一婦では、「自分たちの共同体をを守る」こと、
浮気性の人は「少しでも多くの個体と交わる」ことで
自分の遺伝子を残そうとしている。
 
シャーフロイデの効果によって出る杭は叩かれる。
⇒誰かを叩く行為というのは、本質的にはその集団を守ろうとする行動であり、向社会性が高まった末の帰結かもしれない
 
ソロモンアッシュの実験
⇒サクラの選んだ明らかな誤りに3割の人が同調してしまう。。
 
ドーパミンの分解酵素の活性が高いタイプ 
ドーパミンが残りにくく、意思決定が楽しくない
 
低いタイプ
⇒自分で意思決定することが楽しい。従前のやり方を踏襲することに魅力を感じない。
 
☆☆東アジア人は自分で意思決定することを楽しいと感じるのは3割もいない。
  一方、ヨーロッパでは6割近くが自分で意思決定したいタイプ。
 
高度成長というフィールドでは、集団の絆を深め、逸脱者を排除するという組織だった。→均一で良質な人材を大量生産することができ、経済の発展にもつながった。
⇒しかし、社会構造が変わってきた現在、それが必ずしも理想的ではなくなってきた。⇒高いポテンシャルを持つ人間を均質的でなく育てることが必要。
 
人間の脳はなまけもの、できるだけ考えたくない。
考えたくないが、失敗したくない。
⇒多数派についていくという判断を下す。
 
その集団への愛着が深くなると、他のグループとの溝が深まる
 
かつての日本の宮大工は、作品に自分の名前を残さなかった。
⇒名前を入れることで「出る杭」いけにえになる危険性
 
最後通牒ゲーム
10万円を山分け
Aさんが配分を決める。
Bに配分提示。OKすればその通り配分
Bが受け入れなければどちらももらえない。
 
Aの取り分が7割を超えると拒否権の発動される率が8割を超える。
⇒自分の取り分を犠牲にしてまで他人にもうけさせたくない
 →協調性の高い被験者の方が、拒否率が高かった。
  =フェアであることを求めるため、不正に利益を得ようとしている相手を許すことができない。
 
☆☆⇒協調性が高い人=攻撃的という一見矛盾した結論。
 
義憤にかられ合理的でない判断を下す人は、セロトニンを脳内で合成する部位の、セロトニントランスポーターというたんぱく質の密度が低い。⇒密度が低ければ物事をいい加減にかんがえられない。
セロトニン…不安を感じにくくする物質
日本人は98%が密度が低いタイプ
⇒自分が損をしてでも不公平、ずるに対して一矢報いる。
 
日本人はセロトニンが少ない=不安を抱きやすい
⇒自然災害が多いから?
 
英会話能力が低い=失敗に対する不安が大きい⇒間違えたら恥ずかしい。
 
日本人が不安症心配性であることは当然のことだといえる。
 
ミルグラム実験からわかること。
特定の環境課では、倫理的に正しいと評価を得ている人が、あたかも表演したかのように暴力的になる。
⇒☆☆☆倫理的に正しい人は、自らの置かれている環境を支配する「ルールに従順である」だけ。
 
総括☆☆☆☆☆☆
 
人間性にスポットを当てた本。
科学的な観点から、なぜ嫉妬などの感情や、共同体の中で個人を叩くのかなどを解説した本。
あまりないアプローチからの論の展開であり、非常に興味深かった。

大人はもっと遊びなさい 仕事と人生を変えるオフタイムの過ごし方 成毛眞 ☆☆☆

〇人は遊ぶために生まれてきた。
だからこそ、人はいくつになっても遊びたいのである。
 
〇今若くして余生のような人生を過ごしているのなら、それ以上老け込まないために、成長の余地を自分に設ける必要がある。
→遊びを人生に取り入れる。
 
〇遊んで上達しろ!
遊びでも仕事でも、義務感をもって行動していたら成長のスピードは著しく低下してしまう。
 
 
総括
遊びを生活に取り入れ、幅を広げ、掘り下げていくことで人生はもっと楽しくなるし、ゆくゆくはそれが仕事にもつながってくる、といった本。
根詰めて仕事とか勉強しているときに読んでみると息抜きになるし、視野が広がるかも。

 

大人はもっと遊びなさい (PHPビジネス新書)

大人はもっと遊びなさい (PHPビジネス新書)

 

 

fire HD 10にカバーをつけたよ。

アマゾンでこないだ購入したfire HD 10用のカバーを買いました。

やっぱりカバーがあると安心感あるし使いやすくなりますね。

SDカードも64GBのものを買って容量もアップ。

google playを導入してアンドロイドアプリも入れられるようにしたので最強端末となりました。

ほんとにこれがアンダー1万円ちょいで買えちゃっていいのアマゾンさん。。。

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Kindle Fire タブレット買った

 先月タイムセールで安くなってたので、13980円で購入。

めちゃくちゃ画質良いし、めっちゃヌルヌル動く。

OSがアンドロイドじゃないから拡張性は低いけど、プライムビデオやネットフリックス見たり、ちょっとブラウジングするくらいなら最強といっても過言ではない端末かも。

Fire HD 10 タブレット (10インチHDディスプレイ)

Fire HD 10 タブレット (10インチHDディスプレイ)